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2007年12月 アーカイブ

2007年12月11日

非常識なる賭け。

昼食の時、友人から聞いた話。

5年ほど前、仕事でフランスへ行き、地方のとある街でカシノへ足を向けた時のこと。小さな保養地はシーズンオフで、カシノは人もまばら。友人の日本人3人連れと、あとは地元のフランス人数人がいた程度だったという。邦人3名はルーレットにとりついて、ちびちびと遊んでいた。

それでもルーレット台には若いディーラーが2人いて、なかなかの手つきで回している。しかし、ヒマである。2人はしきりに私語を交わしていた。(どうせ台にいるのはニホンジンらしき男が3人。なにも尋ねてこない。なにやらわからない言葉で話している。今日は、気楽にいこうや。)

だが友人はフランス語に精通していた。フランス語をしゃべらなければならない場面も、必要もなかったので、友人たちと日本人になりきり、日本語を楽しんでいた。勝負はとんとん、小さく賭けているのでそれほど金の動きはない。

するとディーラーのフランス人が遊び始めた。もう1人のディーラーに向かって「18!」番号をひとこと言ってボールを投げたのだ。(ほほう。言葉がわからないと思って、面白いことをしてくれるもんだ。)友人はボールの行方を静かに見守った。すると宣言したナンバーのポケットにボールが吸い込まれた。(ほほう)

友人はその妙技を見ても表情ひとつ変えず、コインを張り続け、日本名産、ニタニタ笑顔のまま日本語でこう言った。「俺が番号を言ったら、そのナンバーに有り金、ぜんぶ勝負だ」このときばかりは、仲間の2人も、阿吽の呼吸で(どうして)と聞くこともなく、その時を待った。

ディーラーを無視しながら、メイド・イン・ジャパン笑顔で待つことしばし。頃合いだった。指令役の友人の目付きが一瞬変わり、「2番だ、行くぞ。」とゴーを出した。ディーラーがホイールを回し、フランス語で「2番」といってボールを投げた、そのあとだった。

あわてたのはフランス人ディーラーだった。が、もうどうしようもない。彼の狙い通り、ボールは見事「2番」ポケットに収まった。

「フランス語がわかってたんですね。非常識な方だ。」若者はあきらめ顔で、そう友人に声をかけた。

「セ・ラ・ヴィー(それが人生さ)」流暢なフランス語でそう返すと、友人は背筋を伸ばして手をさしのべ、若者と握手した。

さて、彼らがいくら稼いだかは、ここでは触れない。決して非常識な額ではない。人生が狂わぬ程度、としておこうか。

昼食が終わり、午後のラウンドがスタートする。ティグラウンドに向かって歩く道すがらその友人が囁いた。「あとのハーフ、ハンデを倍にするから、ベットも倍にしないか?」うれしいお誘いではあったが、その非常識な申し出を私は丁重に断わった。


160ヤード、何番で打ちますか。


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霧に包まれるエッフェル塔。去年の冬に行ったのだが、寒かった。1889年の万博のために建てられたが、当初、20年後に解体される計画だったという。


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夜、六本木から歩いていると、いつのまにかここへ出た。ライトアップした東京タワー。東京の象徴として高度経済成長期から鎮座している。このごろでは東京のグラフィティとして、登場することも。

2007年12月 3日

非常識な悩み。

シャンク、ソケットが出始めると止まらない。それもフェアウェイセンター100ヤード、自分の一番好きな距離と場面で起こる。本人は、完璧にショットしたつもりなのだからタチが悪い。
そうなると、また出るという恐怖感が生まれてくる。恐怖感は、カラダを硬くさせる。「下半身が止まっている」「いや、振り抜きがターゲットに向いている」「ガニ股で打つのが一番」人に言われれば言われるほど、わからなくなり、出口が見えなくなっていく。
ゴルファーなら多かれ少なかれ、そういう経験はあるだろう。思うようにいかない結果に、どうして?と呟いてみる。でも、結果をつくっている原因は、すべて自分なのである。
しかし、そう自戒しても、いっこうにボールは当たってくれない。自戒と同時に自信も消えていく。いろいろ試してみても、どれも正解のようで決定打にはならない。

非常出口の明かりが、ぼんやり見えてきた。わかってきたのは、余裕のないときに「事故」は起きるということ。例えば、120ヤードをピッチングウェッジでフルショットするとき、予想以上にスイングが速くなり、バランスが崩れる。無理することはない。大きめのクラブか、より飛ぶアイアンを使えば、いい。なにごとも余裕が大切である。

egg効果というのだろうか。

もし同じような状況にプロがハマったらどうなるのか。力は飛び抜けているのにひとつ歯車が狂っただけで、地獄を見る。そしてその地獄が、即、生活に繋がっていたら…。プロ自身から聞いたプロのイップスの話などは、あまりの悩みの深さに不謹慎ではあるが、もう笑うしかなかった。



アマチュアはゴルフに悩んでも、仕事など他の「逃げ道」があるからいいが、プロは行き場がなくなる。
以前書いた、プロの非常識なまでの明るさは、実は現実との裏腹で生まれてくるものなのだ。そうでもしていなければ、精神がボロボロになってしまう。


ハッピーになるために、ゴルフをする。それは、アマチュアの特権なのだと思えてきた。


120ヤード、何番で打ちますか。


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ゴルフなしで、博多へ行った。本場のもつ鍋をはじめて食べた。うまかった。脂っこいようで、さっぱりしている。とにかく暖まるのがいい。ニラがグリーンに見えて、かき混ぜるのを瞬時、ためらう。

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午前8時過ぎ。日光カンツリー倶楽部、練習グリーン上のボール。影の長さがゴルフシーズンの区切りを感じさせる。冬のひっそりとしたコースも私は好きだが。

2007年12月25日

非常識な徒然。

You might think but today's some fish.

ヒトは確実にトシをとっている。その事実に気づかない人々を若者と呼ぶ。

ヒトは確実にトシをとっている。その事実に気づかないふりをしている人々をシニアと呼ぶ。

厳密に言うと、明日は永遠にやって来ない。いつのまにか今日になってしまうだけである。

人間:ルールとは、守るヒトのためにあるものなのでしょうか。それとも守らないヒトのためにあるのでしょうか。
神様:いや、ルールとは、ルールをつくるヒトのために存在するものです。

すべての事柄に絶対はない。故に、10センチのパットは、ギャンブルである。絶対だと思っていると、ヤケドする。

外す、と思って外したパットと、入る、と確信して外したパットとでは、まったく意味が違う。それは、外す、と思って入ってしまったパットと、入る、と確信して入れたパットとの、違いである。

会議は暗礁に乗り上げていた。私たちは出口を探していた。出口さえ見つけられれば、明るい未来の光、結論にたどり着けるはずだ。議論は熱く伯仲していた。すると部屋の中に声が響いた。「出口を探してもムダです。そもそもあなたたちは入口を間違えているのですから。」


非常識とは、熱い風呂のようなものである。慣れればこんな気持ちのいいものもない。

冒頭、「云うまいと思えど今日の寒さかな。」と読む、のだそう。


よいお年を。


160ヤード、何番で打ちますか。

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いちばん難しいのはパットだ、という人は多い。入るか、入らないかは、運のような気もするが、そう思っているうちはダメなのだろう。今のところ入れる確実な方法は、世界中どこのゴルフ場でも見つかっていない。


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ということで、お願いするしかなくなってくる。来年は、たくさんパットが入りますように。鎌倉長谷寺でお会いした石仏様。

2007年12月18日

非常識な価値観。

近所に元気なおばちゃんがいる。町内会には、お祭り、旅行会、老人会など年間を通してさまざまな催しがある。世話好きのおばちゃん、おじさんが、ここで大活躍するわけだが、その元気なおばちゃんが目立って張り切る日がある。廃品回収の日である。リサイクルデーというのだろうか、いまは。

おばちゃんの家は、昔から鉄屑を生業としてきた。いまでさえ小さなビルだが、往時は、工場のような薄暗いバラックだった。中には鉄屑らしきのものが、うずたかく積み上げられていた。前を通ると、金属と油の混ざった匂いと中の暗さとで、子供心に少し怖かった記憶がある。

そのリサイクルデー、おばちゃんは、決まってフォークリフトに乗って登場する。廃品回収のクイーンのようである。集められたカン、古新聞、古着などは、すべて山本商店(おばちゃんの会社の名前だ)に集められる。仕事として続けてきているのだから、知識、段取りは、プロである。この廃品はどうする、どこへ置くなど、町のじじばばは、誰もが必ず指示を仰ぐことになる。

30年前、ゴミと呼ばれていた物が、いま、新しい資源として見直されている。それに合わせるように、おばちゃんのイメージも変わってきたように思う。以前は、鉄屑・油まみれの肉体労働者の雰囲気だったが、いまや時代の先端を行くエコ・ウーマンである。こざっぱりして前よりも若返った印象さえある。社会の変化、価値観の変化は、人のイメージすら変えてしまうのだろうか。

タラコと呼ばれたアイアンが、20年ほど前、一世を風靡した。正式名称、インテスト。カーボンコンポジットのアイアンだったが、ロングアイアンが凄まじく飛んだ。そしてやさしかった。カラーが赤だったため、親しみを込めてタラコと呼ばれた。

「アイアン、ことにロングアイアンは、打つにはそれなりの技術が必要。ゴルファーは打てるように練習、努力しなければならない。」当然といえば当然の話だが、「やさしいクラブを使おうなんて思ったらダメですよ」そんなムードがゴルフを支配していた。しかし、タラコが出た途端、アイアンに対するイメージと価値観が変わった。ロングアイアンは特定の人のためにあるクラブではなくなったのだ。

「しかめっつらして、打ち込むばかりがゴルフじゃないでしょう。」タラコはその機能にニックネームのイメージも加わって、アイアンばかりか、ゴルフをホガラカに変えたようでもあった。アイアンという道具が進歩した瞬間だったが、同時にゴルファーの意識も違う方向へ舵を切ったときだったと思う。

さて、eggである。この非常識さは、少なくとも私の価値観を変えつつあると、思うのだが、如何なものだろう。



200ヤード、何番で打ちますか。



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平塚富士見カントリークラブへ行く。パッティンググリーンの向こうに富士山が驚くほど大きく見えるのだが、この日は無念。

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大磯コースを回った。紅葉の名残がまだ少し見られたが、もう風景は冬。ティショットは打ち下ろし、グリーンへは打ち上げ。距離はないものの、距離計算で頭を悩まされた。

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EGG

人生歴50数年、ゴルフ歴20数年。野球少年からバスケットボール、そして草野球に燃えるも、結局はゴルフに執心する、ある意味典型的日本人。
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