2009年4月16日

非常識な花。

少し前になるが、桜満開のゴルフ場へ行ってきた。今年は開花と同時に花冷えが到来し、桜の開花が凍り付いた。冷蔵庫で咲いている桜、といったら大袈裟だが、気温が上がらない日が続いた。憶えていますか。
もうこの日は散っちゃってるはずだけれど、ま、行ってみるか、と先輩に誘われたのが、3月の末。しかし冷蔵保存状態がよかったためか、桜で有名なゴルフ場はその日、満開であった。
きれいなものである。ラウンドしながら最高だな、とか最初のうちは会話がはずんだ。しかしゴルフが始まってしまうと、自分を含めて誰も桜を見ていないことに気がつく。ボールは下にあってそれを見ているわけだから、上に咲いている花を見ているヒマがなくなるのだ。ましてやトラブルに巻き込まれてしまえば、きれいに咲いた桜の樹の下でも、怖い顔をしてボールとピンをにらんでいる。イヤ、誰がどうという話しではなく、ゴルフとはそんなもので、花を愛でるに適してはいない。花は満開、不条理も満開になっていく。
しかし、だいたい花見というものも、持った酒を順調に減らしつつ、隣で同じように酔っぱらった人と、が鳴り合っているだけで、桜を見ている様子はまずない。
そんなこんなで、到着したのは何番のグリーンだったか。そばに立つ桜の老木が見事で、花びらがグリーン一面に散っている。花柄の毛氈を敷き詰めたようなグリーンはこの世のものとも思えないほどきれいだった。
しかし、パットを始める段になって先輩がつぶやいた。
「お前のボール、どこ?」
「マークしたんですけれど、あれ、どこでしたっけ」
マークを桜の花びらが隠し、どこにあるのかわからない。気がつけば先輩はじめ、みんなで人のラインを踏みまくり、どこだどこだとドリフターズのようにマークを探し回る始末。ゴルフを始めて間もない人々ならともかく、一緒のメンバーはベテラン揃い、マナーもわきまえたゴルファーなのだが。このドタバタぶりには笑うしかなかった。
終いにはパットのラインが見づらく、これじゃ、花が邪魔だなと思ったとき、私の意識から桜が消えた。
ふたつを一緒にやるのは無理なんだ。

さて、154ヤードのパー3,何番で打ちますか。

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キャディも桜色のユニフォーム。年中、これなのだが。

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どこだ、どこだ。ワタシのマークは。

2009年1月 9日

非常識な名前。

新春早々、銀座のバーで「あおきいさお」さんに会った。あのプロゴルファーとは別人である。驚いたのは、同姓同名同綴りなのだという。失礼も顧みずさっそく名刺を交換させていただいた。頭をカキカキしながらあおきさんが差し出した名刺には、青木功と、きっぱり書いてあった。

「ゴルフはやりません。できないですよ、この名前じゃ」と青木功さんは、照れくさそうに笑った。人のよさそうな笑顔にまったく翳りは見えなかったが、名前でいろいろな思いをしたのだろうな、と想像してしまった。

ある日、青木功さんが、ゴルフ場へ行ったとしよう。すると受付から「青木功事件」が始まる。書かれたエントリーシートの名前を見て、笑い出すようなスタッフはいないだろうが、裏の事務室に入った途端、黙ってはいられないだろう。
「支配人、青木功さんがおいでですよ」
「えっ、ウソだろ」
「ホントですよ」
エントリーシートを示しながら、受付の女性は、いたずらっぽく笑うかもしれない。そして、その日の○○カントリークラブは、青木功さんの話題で持ちきりになるのは間違いない。家に帰ったキャディもお父ちゃんに事件の報告をするだろう。

考えてみれば、名前を書かなければならない場面は毎日の生活の中で、意外に多い。役所の窓口、銀行、病院などでは、自分の名前を書いた用紙を提出して待つこと暫し。けっこう大きな声で名前を呼ばれる。それもフルネームで。「あおきいさおさーん」

実は、私の友人にも「宮沢賢治」がいる。彼など「子供の頃からあの人と同じでしょ。みんな一度で名前を覚えてくれるし、便利だよ」と、同姓同名同綴りを自慢話のようにしている。達観なのか、居直りなのか。
結果として親から授かった名前なのだから、どうしようもない。それならポジティブに考えた方がトク、なのだろう。しかし、本人の意志とはまったく関係のないところで、非常識な反応が起こってしまうのだから、人生はややこしい。

そこへいくと、鈴木一郎さんは、助かっている。イチロー効果だろうか。

173ヤード、パー3,何番で打ちますか。


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冬はボールが飛ばない。気温とボールの関係らしい。でも私1人が飛ばないわけではない。だからeggで積極的に狙っていく。カラダが動けば、の話だが。

2008年12月10日

非常識な体験。

土曜日の夕方、PRGRのサイエンス・フィットに行ってきた。
ゴルフのスイングは、自分がどのように振っているのかが、わからない。ビデオに撮って見ればわかるのだが、いまだにやったことはない。人のスイングはよく目にする。見ていれば、あー、ここをこうすればいいのにと、岡目八目コーチになることもできる。だが、自分のこととなると、それは深い謎に包まれてしまう。世の中では自分探しが流行っているようだが、私も自分を探しに銀座のサイエンス・フィット・スタジオに行ってみた。
完全予約制。品のある佇まい。ゴルフショップの「トリカゴ」には慣れている私も、少々緊張する。
最初は測定用のドライバーで数発打って自分のデータをあからさまにすることになる。うーむ、こんな風なボールが出るのか。ボールのぶつかる壁?がモニターになっていて自分の弾道が見える。うれしいような、悲しいような。
さてこれからが「サイエンス・フィット」のスタート。ティーチングプロの宮川さんが、じゃ、これを着て打ってもらえますでしょうか。とベストのようなものを持ち出した。宮川さんの物腰は実にソフト。臍曲がりのおじさんもなぜか素直になってしまう。このベストを着て打つと、グリップスピードがわかるらしい。グリップスピードとは、その人のスイングパターン、クセのようなものを示す数値とのことだ。
ボールを打っていくうちに、さまざまなデータが取られていく。裸にされていく、私のスイング。その数字を見つめながら、宮川さんが、それではこれを打ってみてください、と今度は私用に調節したドライバーを渡してくれる。
何かが変わったな、と私用のドライバーを打った瞬間感じた。そして同時に、これ、以前やったことあるぞ、とデジャヴが舞い降りた。そうだ、これ、人間ドックのあの感じだよ。案の定、それからはドクター宮川との問診タイムが始まることとなった。
呼吸器、循環器、消化器、血液をチェックするように、ビデオに収めた自分のスイング映像を一緒に眺めながら、スイングに診断が下される。いいところ、そして問題点が次々と明らかにされていく。そして測定用ドライバーと私用のドライバーとのデータ比較をするのだが、自分のスイングにあったドライバーの方が飛距離も方向性も飛躍的によくなっていることがデータで示された。事実を突きつけられるとどうして人間は、自分のことであるのに、ホー、と他人事のように驚いてしまうのか。スイングがなんとかオンプレーンに収まっていたことだけが、救いであった。
このあとさらに宮川ドクターからのワンポイントアドバイスに、瞠目してしまうことになるのだが、この驚きがなかなかうまく伝えられない。ここまで書いてきてなんだが、「体験してみなければサイエンス・フィットの凄さはわからない。」
いい加減なレポートになってしまったが、自己矛盾と伝え切れないないもどかしさに、私は、なんと非常識な体験をしてしまったのだろう、と感じ入ってしまった。

125ヤード、パー3、何番で打ちますか。


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銀座の夜景。師走に入ると活気づくのであるが、今年はどうだろうか。サイエンス・フィットの情報、スタジオの場所、申し込みなどくわしいことは、PRGRウェブマガジンで。

2008年11月11日

非常識なルール。

ルールには、罰則がある。でも、マナーにペナルティはない。ルールは、明文化される。だが、マナーは本来、明文化されるものではないと思う。

ゴルフ場に「服装マナー」のポスターが貼ってある。今時めずらしい古いイラストが目を引く。いわく、男子の短パンはハイソックスをはきなさい。女子のタンクトップはいけませんよ等。一見、罰はないようだが、ジーンズでゴルフをやろうとすれば、おそらくつまみ出されるだろう。軽重にかかわらず罰則が用意されているのだから、マナーと呼ぶのは非常識だ。明文化されている以上、ルールとした方が適切だろう。ウチはそんな服装じゃ、ゴルフはできません、させません、は、明らかに規則。学校の服装チェックを思い出す。

スポーツ、競技に、ルールは絶対条件である。ルールがなければ、ゲームは成立しない。ゴルフもしかり。OBは、誰がなんと言おうが、OBだ。ルールとは「会議・運動競技などを公正に行うために決められた規則」と辞書にある。明文化し、共有すれば、物事はスムーズに運ぶ。しかし、ルールは一部の人の思惑で作られてしまうと、始末に負えなくなることがある。

ルールは、性悪説に立っている。反対にマナーには、性善説を感じる。ルールは、いろいろな人を、まとめようとするし、マナーは、その人それぞれの裁量にまかせようとする。

ゴルフというスポーツが面白いのは、多様さだろう。同じスイングの人は2人といないし、飛距離も違う。自分の価値観、体力、技術を駆使してひとつの目的、ホールアウトに向かうところが、なんとも人間味を感じる。
せわしく目土をする人。コースを我が庭のように気遣う人。自分のペースでやりきる人。同伴競技者と話し続ける人。後ろの組との間隔を気にする人。人のラインを踏む人。先に打ってしまう人。グリーンを大切にする人。
非常識に飛ばす人。ゴルフ場にはいろいろな人が来る。ルールもマナーもわれ関せず、という非常識な人もいる。

でも、非常識に出会えるゴルフ場が、私は好きでたまらない。非常識なアイアンをこよなく愛する者の意見ではあるが。

154ヤード、パー3。何番で打ちますか。


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湘南の夕陽。太陽が昇り、沈むのも自然のルールだ。こんな綺麗な夕焼けを見せてくれるルールなら大歓迎であるが。


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日没が早くなり、落葉が道を埋めると、秋は冬に吸い込まれていく。

2008年10月29日

非常識な傾斜。

那須ゴルフ倶楽部へ行った。
前夜からロッジに泊まると、朝5時ぐらいに目が覚めた。まだ薄暗い中、温泉へ行く。すでに元気なおじさんたちが露天に浸かっていた。もう活気づいている。日本のゴルフ場はいいな。素直に頷いてしまう。
風呂を出て、コースへ降りる。まだ、1、2週間早い、と一緒にプレーしたメンバーは言うが、素晴らしい景色である。彼方に見える樹々は赤、黄、と鮮やかに色づいている。下界と違って空気が清冽としている。いくら吸い込んでも重くない。
「こんなところで、ゴルフやって、いいんですか」
深呼吸をしながら、正直、そんな気持ちになった。何度訪れても、朝の那須ゴルフ倶楽部(以下、那須)は神秘的な魅力がある。
しかしラウンドが始まれば、違う神秘が待っている。見た目の美しさとは裏腹に、那須のグリーンは難しい。素晴らしく仕上がったグリーンコンディションに、自然のトラップが張り巡らされている。かんたんに説明すると。
那須は、コース自体が、海抜850m〜1000mにある。そのフェアウェイからひときわ高く見える茶臼岳。グリーンはそこを背に速い。それが「絶対斜面」だ。グリーンが昇っているように見えても、茶臼から見れば下りの斜面に入っていることがある。この下り斜面が見えづらい。錯覚なのだ。昇っているように見えて、とてつもなく速い、止まらない。
この錯覚は、何度キャディに聞いても治らない。聞けば聞くほどわからなくなる。さらにキャディの言うことを考え始めると、疑心暗鬼。頭がおかしくなってくる。
得られた結論は、考えないこと。慣れるのを待つしかない。
例えば9番ホールパー4は、ティグランドからグリーンに向かって茶臼岳を左前方に見る。ピンは、その日センターやや左。グリーンは左奥から右手前に向かって速いのだから、左、奥に外すと、まず寄らない。しかし、グリーンは平らに見える。「絶対傾斜」を知らなければ、どこに外しても差し支えないように見える。それが、自然の罠なのだ。
さて、なんパットで上がったか。書く必要もないだろう。ただ、綺麗なものほど、取り扱いには細心の注意が必要だ、ということだ。

183ヤード、パー3、何番で打ちますか。


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18番ホールのピンフラッグ。右に見えるのが茶臼岳。グリーンの傾斜は二の次。まず茶臼岳の位置を確認する。


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14番ホールティグランドからグリーン方向を見る。せせらぎの流れるパー4は、次の15番と合わせて、井上誠一の傑作だろう。素晴らしいの一言。

2008年10月 8日

非常識なラスト。

このごろ、走っている。
朝起きて、2日酔いでなければ、7時前に3〜5kmをゆっくり走る。コースは、近くを流れる川沿いの公園だ。スタートしてすぐに橋を渡り、ふたつ先の橋を渡り返して戻ってくる。これで約2.5km。2周すれば5kmなので、いまの自分にはちょうどいい距離だ。
気がつけば、たくさんの人が走っている。歩いている人もいる。犬を散歩させる人。スポーツウェアの人。パジャマのようなジャージ姿の人。いろいろいるが、どの人も朝のいい空気を吸いにやって来るような風情である。その間を縫うように、通勤に行くのだろう自転車が疾走していく。ちょっと注意が必要だが、それはそれで都会のジョギングらしい光景かもしれない。
半年ほど前に1kmを走った。それがそもそもの始まりなのだが、その時はしんどかった。たかだか1kmとなめてスタートしたのだが、最後の100mは「泳いで」いたと思う。足腰に来ることはなかったが、息が続かない。
しかし、ヘンなことにも気がついた。3kmを走っても最後の100mが来ると、息が上がる。5kmでもそうなのだ。距離を伸ばしていけばきつくなるのは当然だろう。それはわかる。そこで、1kmを走ってみた。すると、やはり最後の50mで自分の息が聞こえはじめるのだ。ゼーゼー。
公園のコースを2周する、と決めて走りだすと、1周目の最後はまだゴールではないので、バテることはない。オアズケ。そこにご飯があっても食べてはいけないのだ。だからそこはゴールでもないし、まだ食べ物にも見えない。しかし、1周で今日はやめよう、ラストだと思い始めると、途端に喘ぎ泳ぎが始まる。
諦めなのか。安堵なのか。解放なのか。緊張が切れるのか。
マラソンのゴール前で、一流選手がバタバタになることがあるが、心理的には同じようなことなのか。
18番ホール、残り30センチのパット。緊張は、保てているだろうか。

170ヤード、何番で打ちますか。


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ジョギングコースの春風景。いまはもう桜の葉も色づき、次第に散り始めている。12月になると、真っ赤になった葉を木枯らしが追いかけ回す。

2008年8月27日

非常識な天才。

天才でしたね。子供の頃は。
授業で先生の話、聞かなくても、答はわかったし。
予習も復習もせずに、テスト、100点は当たり前でした。
でもあるとき、誰が言ったのか、
「天才は努力しない。」努力しないから天才なんで、
「努力する人は天才ではない」と思い込んだ。
確かにそうだ。自分は努力しないのに100点なのだから、天才なんだ。間違いない。だいたい努力は、面倒だし。
努力しちゃ、ダメなんだ。
努力したら天才じゃなくなっちゃう。
それを認めるのがイヤだった。ただの怠け者ですね。
そうしたら、そのうち100点、取れなくなった。
当たり前です。天才なんかじゃない。
ただのガキだったんだから。

ゴルフ?
天才でしたよ、始めた頃は。
人のできないことができてしまう。
天才だ、と思った瞬間は、何回かありますね。
いままで合わせると、合計10秒ぐらいですか。
そういう経験した人、多いと思いますけれど。

アンディ・ウォーホルじゃないけれど、
人は10秒なら、誰でも天才になれる。
ということですか。

150ヤード、何番で打ちますか。


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北陸遠征。高岡カントリー倶楽部、頼成(らんじょう)コース10番ティ。高低はあるものの、素晴らしいコースでした。もう少し涼しい時節にまた行ってみたい。


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北陸遠征。呉羽カントリークラブの管理車。なかなかいいアイディアですね。走り回るわけですから。

2008年7月24日

非常識な沈黙。

中学生、高校生が、学校に携帯を持って行く。小学生までもが自分の携帯を持っている。
急に仕事の連絡が入るわけでもなし、携帯がぜひとも必要な理由はそこにはない。どこの学校でも、校内では携帯を持つことも、話すことも禁止、が一般的な校則だろう。しかし、彼ら、彼女らは携帯を必ず持って学校へ行く。持っていないと、珍しがられるようでもある。
通信会社も、若年マーケットを狙っている。昔、とあるハンバーガー・チェーンの会長が「小学生までにこの味を覚えさせれば、一生忘れなくなる」という趣旨の発言をした。子供は、犬か、と私は憤慨したが、企業側から見ると、子供を取り込むことはマーケティング戦略上、かなり重要な位置付けになる。
電車の中でもじっと携帯を見つめる人がどんどん増えてきている。それだけ面白く、気になる道具なのだから、子供が使いたくなる、持ちたくなるのも当然だろう。
しかし、携帯を小学生の頃から持つことが、大人になってどういう影響を残すかは、未知である。いいこともあれば、悪いこともあるだろう。まったくわからない物語が現在進行中なわけで、子供にかんたんに携帯を与えていいわけがないという気もする。
そして携帯は、話す道具から、メールするための機械へと変わりつつある。話さないでいいから音が出ない。使ってもバレないし、プライベートな感じがするのも、蜜の味。クセになる。ゆくゆくは、すべてが携帯メールでのコミュニケーションになってしまうのだろうか。大事なことからくだらないこと、挨拶までが、メール、メール。非常識というより、これは、異常だ。

いま、スコア、いくつでしたっけ?
ボギーです。
惜しいパーパット!でしたね。
あれが、実力ですよ。
いや、とんでもない!

なんていうやりとりが、沈黙の中、メールで行われている。ゴルフ場でもスコアの確認は、メールが常識になった!なんていうことはないだろうが、未来は、わからないから、未来なのである。
そういう近未来が、あながち否定できないところに私たちは来ていると思ったら、この暑い中、背中がヒンヤリとした。

185ヤード、パー3。何番で打ちますか。


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ゴルフ場のキャディマスター室付近で見かけたツバメ。地面に降りているツバメの姿は、めずらしい。なにか心配なのだろうか。よく見れば、視線の先には巣があった。


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これも携帯関連といえる。ビーチで見かけた看板。携帯カメラなどを使った盗撮が多いため、こんなものができあがった。イラストは、カメラというより、携帯の方が現実に近そう。

2008年7月10日

非常識の確率。

午前中の仕事が終わって、六本木の裏道を歩いていた。雨模様の続く梅雨だが、その日はうってかわって初夏を通り越して、夏のような日差しが降りそそいでいた。こういう日に東京にいるのはもったいない。ゴルファーなら誰でもきっとそう思う、そんな昼である。
いい日だな、と感じていると、自然、足取りも軽くなる。早足は健康にもいいらしい、と思いながら歩いていると、背中の肩口を軽くではあるが、誰かに叩かれた。誰だろうと振り返ってみたが、そこに人はいなかった。
裏道とはいっても人通りは賑やかな、お昼時の六本木である。大好きな幽霊話になるような時間でもないし、そういう雰囲気は、ひとつもない。でも、肩は叩かれた。人はいない。おや、と思って、店のウィンドに映る自分を見た。
やられた。ジャケットの背中に白いものがべっとりと付いている。
鳥の糞だった。ハト、いや、カラスかもしれない。
その量がハンパじゃなかったので、背中を叩かれたように感じたのだ。慌てて、とある外食チェーンのトイレに飛び込んで落下物を洗い流した。いずれにせよ、ジャケットはクリーニング行きになった。
ついていない話の象徴のような出来事(ヨーロッパではついているというらしい)だが、糞害を自分が受けたのは初めてであった。頭に受けてひどい目にあったとか、友人の話を聞いた記憶はある。災難ですね、と同情はしたものの、コントの典型的なギャグのようでもあり、どこかで微笑んでいたような気がする。しかしいざ自分に起こってみれば、笑いごとではない。着の身着のまま、ファッションにはあまりこだわりのない私あたりでも、困ったのだから、着飾った女性に命中していたら、さらに笑いごとではなかったろう。

しかし、確率的には、ホールインワンなのかも。数日後、冷静になった頭がそんなことを考えていた。まだ「エース」の経験がない私とすれば、コレは前兆かもしれないと、勝手に思い始めてもいた。予感がするぞ、誰に言うでもなくeggを振るが、ポーンと肩を叩かれるような、偶然との出会いはまだやってこない。

160ヤード、パー3。何番で打ちますか?


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軽井沢ゴルフ倶楽部。浅間山を眺めながらのラウンドは最高であった。芝の練習場もすばらしく、年に一度は必ず来たい場所である。


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鎌倉七里ヶ浜から江ノ島方面を望む。光と波の「偶然」が生んだワンショット。

2008年6月24日

非常識な数字。

スポーツには、計算し尽くされた「数字」の仕掛けが存在する。その仕掛けが、競技の難易度を上げ、ゲーム性を高めている。

サッカーのゴールマウスの大きさは、よく例に挙げられる数字の「仕掛け」のひとつだろう。シュートの速度、強度。それに対するゴールキーパーの反応力、筋力。この組み合わせが、サッカーという競技に1点の重みをつくっていく。放たれたシュートがどんなに速く、強いものでも、それを得点させないキーパーがいる。キーパーが止められなくても、なぜかバー、ポストが、ボールを跳ね返し、ゴールマウスをしっかり守ることがある。なぜ、ゴールの大きさはあのサイズに決められたのだろう。絶妙の大きさである。サッカーの歴史を語る上で、このゴールの大きさ(ゴールポストの内側7.32m、クロスバーの内側の高さ2.44m、ゴールポスト、クロスバーの幅、厚さ12cm以内)が果たしてきた役割は、あまりにも大きい。入るも入らないも、時の運。しかし、幸運も不運も、あの小さくもなく、大きすぎもしない、ゴールマウスによって左右されているのである。

野球を見ていて気づくのは、まず塁間の距離(27.431m)である。打者が打って走る、転がったボールを野手が捕って一塁へ送球する。人の走る速さ、ボールの転がる速度、野手がボールを捕り投げるために要する時間。この三つの数字が、すばらしい割合で計算されている。普通のゴロは間違いなくアウトになる、しかし野手の間に転がると、今度はアウトかセーフか、微妙なタイミングになる。聴衆はこの計算された一瞬に固唾をのむ。
盗塁の成否は、ある意味、野球の醍醐味である。足の速いランナー、牽制のうまいピッチャー、肩の強いキャッチャーとの相関関係で成り立つ面白みだが、ここにも計算された意地の悪い数字(本塁と二塁との距離38.795m)が存在する。タッチが早いか、足が早いか。きわどいタイミングをつくっているのは、数字の仕掛けだ。

ピッチャーズマウンドとホームプレートの距離(18.44m)も侮れない。ピッチャーから投げられる時速150kmを超す目にも止まらぬ速さのボール。この火の玉をバッターが打ち返せるのは、なぜだろう。距離、数字の仕業がここにも潜んでいるとしか考えられない。仮にピッチャーズプレートの位置が、20センチ前後したら、野球がこれほど興奮させられるスポーツになっていただろうか。そうとうに疑わしい。
ストライクとボールの数が違うのは、なぜだろう。打撃戦は見ていて面白いが、余りにも点の入りすぎる野球はゲーム性をおとしめる。恐らくそこを考えてのことだと思うが、3ストライクで三振、だがフォアボールは言葉の通り4つのボールが必要になる。敢えていえば、最初からピッチャーが有利になるようにストライクとボールの間にハンデを設定している。しかしこのハンデが野球という競技をバランスよくコントロールしているのだから、面白い。バッターの打率が4割をなかなか超えないのは、このハンデのためだと私は思っている。
42.195kmのマラソンも、40kmでは、ドラマは生まれない。歴史の示す距離ではあるけれど、この端数が、競技の中で出来心のようにイタズラをしでかす。

パー72。ゴルフの数字もまた、不思議な数だ。2、3、4、6、8、9、12、18、36と数多くの約数を持つ72ほど、割り切れないものもない。100を切る、90を切る、とよく雑誌などで言われるアマチュアの関所は、この72から生まれてきている。

210ヤードのパー3を長いと思うのか、別に、と感じるのか。ここにも数字のマジックが存在する。手にするクラブ、それが、ウッドなのか、ユーティリティなのか、それともeggなのか。別に、と感じるのには、それなりの理由がある。

210ヤード、何番で打ちますか。


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野球が好きなのでよく神宮球場へ行く。ビールを飲みながらの観戦は格別である。が、あの、応援はなんとかならないものか。鐘、太鼓、トランペット。打球音、ミットに吸い込まれるボールのパーンという音。野球のシズル、すべてを消してしまうあの非常識にはガマンがならない。


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210ヤードのパー3。一日を振り返ってみると、130ヤードのパー3は乗らず、210ヤードはピンそばに乗せた、なんていうこともある。さて、さて。

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EGG

人生歴50数年、ゴルフ歴20数年。野球少年からバスケットボール、そして草野球に燃えるも、結局はゴルフに執心する、ある意味典型的日本人。
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既成概念の殻を破る非常識な「飛び」と「やさしさ」を徹底試打レポート。